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置き捨てられた風流

晩秋の一日、ふらりと新宿四丁目の天龍寺を訪れた折り、墓地の一角に 　　設けられた小さな石庭に水琴窟が仕掛けられているのに気が付いた。 　　　水琴窟は江戸時代に考案された水音を楽しむための造園技法で、つくば 　　いの排水が地下に埋設された瓶の中に流れ落ちる際、水の滴りが共鳴して 　　音を奏でる仕組みである。私はその存在は知っていたが、実物を見たのは 　　この時が初めてであった。ところが、最初に目にしたその姿は私のイメー 　　ジからは程遠いものだったのである。 　　　つくばいの上に伸びる 竹の懸樋 には久しく水を流した様子が無く干から 　　び、つくばいに溜まった水も長い晴天続きで 殆ど干上がり、底には僅かに 　　青深泥に澱んだものが残っているだけだ。つくばいの下の敷き砂利には落 　　ち葉が吹き溜まり、水琴窟につながる口は塞がっていた。かたわらの石積 　　みの上に放り出された竹の柄杓もすっかり乾燥し切り、全体が黒ずんで粉 　　を吹いている。 当初は墨跡も鮮やかであったろう、水琴窟を解説する立て 　　札の文字も、表面が剥落して所々読み取れなくなっている。折角の造作が 　　放擲され、今は生命が通っていない有様が心なく、無残にも思われた。 　　　私は墓地の片隅に井戸があるのを見て、手桶に水を汲んでくる。 つくば 　　いの前にしゃがみ込み、水の落ち口につまった落ち葉を取り除いてから、 　　柄杓半分の水をすくって恐る恐る滴らせてみた。ほんの少しの間をおいて、 　　ピーン、ピーンと、微かに金属的な音が聞こえてくる。 「あっ、生きている」 　　と、思わず声を出し、ほっと息をついた。続けて柄杓一杯の水を流し込むと、 　　賑やかな反響がしばらく続いた後、やがてそれが静かにおさまって行く。 　　脇に転がっていた竹の聴音管を排水口にあてがい耳をよせる。 今度は澄 　　んだ響きが実にはっきりと聞き取れた。 　　　しゃがみ込んだ姿勢で、竹筒に耳を当てたまま、私は何杯も柄杓の水を 　　汲んでは、その都度調子を変えて流し、歯切れの良いせせらぎのような音 　　色を楽しんだ。 その間、墓参に来た何組かの人たちが、一寸怪訝な顔をし 　　て背後を通り過ぎて行ったが、それも一向に気にならない。ほどなく、手桶 　　一杯の水を空にすると、私は再び井戸に水を汲みに行った。　　　　　 　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　（１９９７年１２月） 　　＜追　記＞ 　　　９９年の春、私が再びお寺を訪れた時にはこの水琴窟がすっかり整備さ 　　れていた。 つくばいの懸樋も、添えられた柄杓も、竹の聴音管もすべて新 　　しくされ、僅かながら水も流されていた。 私は、少々大袈裟 ではあるが、 　　風流の復活を喜んだのである。 　　　　　　　　　　　　　　　　　　　 　　　　　　　 　　　　　　　（２００１年１０月） 　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　目次へ