こちらが注目して五、六分経った頃であろうか、その鳥は突然川面に向か
って飛翔して、水面から二メートル、川幅のほぼ中央で数秒間ホバリングを
した後、再びもとの位置に舞い戻る。背中の羽毛の色は鮮やかな瑠璃色で、
日暮れに近い薄陽を跳ね返して閃光のように輝いた。私は、傍らの妻の耳
に、 「あれはカワセミだよ」 と囁きながら、未だ半信半疑の状態にあった。
先ほどからのポーズは獲物を狙っていたものに違いない。滅多にない機会
に恵まれた幸運に少々興奮を覚えつつ、少し移動した鳥に合わせて体を動
かす。鳥の方は見られていることを気にする素振りも見せず、再び水面に眼
を凝らし、集中状態に入った。
それから十分も待ったであろうか。鳥は我々が立っている真下の水面に一
直線に頭から飛び込んだのである。一、二秒の間があって、水中からバッと
飛び出し、十五メートルほど上流の対岸の縁に降り立った。嘴には六、七 セ
ンチの小魚が銀光を放ちながらあばれている。
その後、鳥は魚をくわえたまま、対岸の縁であちこち 移動を繰り返しなが
ら魚を呑み込もうとしていた。不思議なことに、魚を捕らえるまでは人の姿を
気にとめる風でもなかったのに、捕らえてからは明らかに こちらが注視して
いることを意識している様子なのだ。 草陰に隠れるようにして何回か頭と首
を振った後、やがて魚を呑み込んで、落日射す川面を川上へ向かって飛び
去って行った。思いがけない光景を目撃して、私も妻も暫く言葉もない。ふう
ーっ と 一つ、溜息をついてから、思い出したように帰路を急いだのである。
水のきれいな水域にしか生息しない、というのがこれまでの私のカワセミに
関する常識であった。神田川で見かけようとは思いもしていなかっただけに、
今日の出会いは私にとって一大事件と言える。 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
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