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貴重な十分間

その二人の娘は品川で乗車した。五時にほど近い山手線外回りの電車。 　　勤め帰りのサラリーマンやＯＬがぼちぼち目立ち始める頃合いだった。空席 　　が無いのを素早く確認した二人は、入った反対側のドアの両側に分かれて 　　しゃがみ込むと、膝の上にバッグを置いておもむろにお化粧に取りかかった。 　　二人とも不気味に長い黒のコートに、これまた黒いポックリのような厚底靴 　　を履いていた。その年恰好から推して私は彼女たちを高校生と見た。 　　　「昨日さ。 カネボウに寄るのをアキに見られちゃってさ。今日、教室でしっ 　　こく訊きやがるの。参ったよ」と、一人がルージュを取り出しながら言いかけ 　　る。 だが、もう一人は既に鏡に写した自分の顔と、前方の中吊り広告の写 　　真を見比べながらの眉描きに余念がない。 友の言葉には応せず、「ほら、 　　紀香だよ。色気があっていいね」と、目は写真と鏡の間を往復する。 とんち 　　んかんに聞こえる二人の会話はそれでも不思議につながって、途中駅でド 　　アが開き、目の前を乗降客が出入りしようと途切れることがない。人目を気 　　にしたり外界の変化に動ずる様子は全く無く、自分たちの変身行為だけに 　　没頭しているようだった。 　　　乗客の多数の眼が二人の挙動を注視していた。 私は向かいの端の席に 　　座る若い女性の反応を見ていた。 ＯＬらしいが殆ど化粧気が無い。自分の 　　右側にいきなりしゃがみ込んだ娘を 最初は無視する風だったが、バッグか 　　ら次々と化粧品や道具を取り出して巧みにメークを進める娘の手際に次第 　　に興味を持ったようだ。正面を向きながらの、手摺り越しに娘の作業を観察 　　する右目使いは結構真剣だった。 　　　「次は渋谷、渋谷」というアナウンスに娘たちは鏡の顔に最後のチェックを 　　入れ、化粧道具をバッグに納めて立ち上がる。そしてチラリと目配せを交わ 　　し、ドアが開くと同時に転げるように飛び出して行った。 　　　十分間の乗車時間を見事に使い切っていた。 　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　（１９９８年１２月） 　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　目次へ