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富 士 を 登 る　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　4 / 8

三 　　　私が浅い眠りから覚めると、もう壁越しに登山者の足音と話し声が聞こえ 　　るようになっていた。 窮屈なベッドで懐中電灯をつけ、時計を見ると午前一 　　時十五分。 防寒着を羽織り、山小屋の外へ出て空を仰ぐ。 標高三千四百 　　メートル、真夏とはいえ 富士八合目の夜気は冷たく、忽ち眠気が吹き飛ん 　　でしまった。 　　　雲は多いが月も星も出ていて、北西の微風である。どうやら雨は心配無さ 　　そうだ。眼下に目をやると、東方には山中湖がぼんやりした輪郭で鈍い光を 　　放ち、そのやや北寄りに遥か遠く東京の灯がきらめいていた。直下の斜面 　　には、薄闇のなかを登山道に沿って光が点々と続いている。登山者が足元 　　を照らすライトの光だ。上を見やると、こちらも光の点が列をなしてゆっくりと 　　暗い山肌を這い上がって行く。山頂で御来光を拝すべく、登山者たちは既に 　　行動を開始していたのだ。 　　　山小屋に戻り、カミさんを起こして身支度にかかる。二日目は、帰りのバス 　　集合時間まで自由行動だったのだ。私は一寸頭痛がして気分が重かった。 　　　「高山病に罹ったのかも知れない」 　　　冗談混じりに言ってみる。すると、 　　　「それなら酸素を持って行きましょう」 　　　と、カミさんは気休めのつもりか、携帯用酸素を一缶購入した。同宿の若い 　　連中が次々と出立するのを見送りながら、二人は熱いココアを飲んで身体が 　　暖まるのを待つ。 　　　二人がリュックサックを背負い、右手に懐中電灯、左手に 金剛杖を持って 　　登り始めたのが二時半。一時間前に比べると目に見えて数が増えた登山者 　　は、小屋横からの狭い登山道に早くも数珠つなぎ状態になっていた。ジグザ 　　グになりながらも真上に登ってゆく道に、行列はしばしばつかえ、よそ見をし 　　ていると前を行く者にぶつかりかねない。そんなスローペースが幸いして、体 　　調の悪い私も何とか流れに乗って行く。九合目を過ぎ、最後の胸突き八丁に 　　かかる頃、次第に東の空が白み始める。 時刻は三時半をまわっていた。登 　　山の列はいよいよスローダウンし、日の出前に果たして頂上にたどりつける 　　かと、私は心配になってくる。 　　　東方の空を見ると、やや雲が多く霞みがちであるが、地平線を隈取るよう 　　に線状に茜がさして来ていた。登りの列が止まったおり振り返る度に、茜の 　　線は太く帯状に拡がり、明るさを増してくる。あたかもそれに追いかけられる 　　様に私の気は焦るが、自分の足も重く、行列も滞りがち。既に四時をまわり、 　　頭上の空もかなり明るい。日の出が迫っていた。 　　　「もうこの高さになれば、どこで眺めようと一緒だよ」 　　　と、私が言い訳を準備しかかった頃だ。 　　　「もう一息だぞ。がんばれ！」 　　　上から大勢の声が降ってきた。見上げると、先着の登頂者たちが山頂の縁 　　に並んで日の出を待っているようだ。行列のスピードが俄に加速される。やが 　　て鳥居をくぐり、石段を一気に上り詰めると、そこはもう 浅間神社東北奥宮・ 　　久須志神社が鎮座する神域だった。 時刻は 七月二四日午前四時二八分。 　　二人は息もせわしく疲れた足をひきずりながら、とにかく 東の空 が見渡せる 　　一角に走り寄る。 　　　　　　　　　　　　前頁へ　　　　　　　　　　　　　　　次頁へ