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富 士 を 登 る　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　 5 / 8

目の前は一面の白い雲海。その中に、東方から北西にかけて丹沢、奥多摩、 　奥秩父、八ヶ岳連峰といった山々が青黒く頭を覗かせていた。 私もカミさんも 　初めて目にする光景である。既に茜色に染まっていた東の空が急速に明るさ 　を増しつつあった。頭上の空が水色になり、ちぎれ雲がピンクと朱に染まると、 　地平から鮮烈な光が射しはじめる。ウオッと、何処からともなくどよめきが起こ 　った後、人々は無言で荘厳な光景にうたれた。時刻は四時三五分。 この瞬間 　を迎えるために、昨日 ・今日と 計八時間 の辛い登行に耐えてきたのである。 　二人は素直に手を合わせ、御来光を拝した。 　　それまで薄墨色に沈んでいた山肌が一瞬にして赤く染まり、眼下の山中湖が 　黄金色に輝きだす。 やがて明るさに慣れた目に、あたりの風景は次第に本来 　の色彩を取り戻し始めた。 　　ひとしきりカメラのシャッターを切ったあと、私はカミさんの顔色が冴えないこ 　とに初めて気が付き、声を掛ける。 　　「顔色が良くない。気分がわるいのか？」 　　「疲れたの。それに一寸寒いのよ」 　　そう言ってシャツとコートの襟を立て、身をすくめている。 　　アンゴラの下着にウールの長袖シャツ、その上にレインコートを着ていた彼女 　は、登りにかかった時は快調で、流れに遅れがちな私の相当前を登っていたの 　だが。 途中で発汗の調節がうまく行かず、気温も低いので体を冷やしてしまっ 　たのだろう。 　　「セーター持ってきていたじゃないか」 　　私は妻の背の荷物を開き、ウールのセーターを引っぱり出す。彼女はそれを 　重ね着してようやく人心地つける。 　　久須志神社にお参りをして金剛杖に登山記念の焼き印を押したあと、休憩所 　で温かいうどんをすすり、しばらく足腰を伸ばす。　二人とも相当ばてていた。十 　分な時間が有れば、ゆっくりと休んでからお鉢巡りをして、三百六十度のパノラ 　マを楽しみ、最高地点の剣が峰に立ってみたいのはやまやまなのだが……。 　そう考えながら、私はカミさんに訊いてみた。 　　「山頂を一周する元気はあるかい？　距離は四キロ足らずだそうだけど」 　　「うーん、とても駄目。 見たところ大分起伏があるし、それに時間がかかるで 　しょ。 登るのはもう沢山。 これで下りましょ」 　　「そうだな。俺もばてたよ。残念だけど、やめにするか」 　　そんなやり取りの後、しばらく休んでから二人は神社の裏手に出て大内院（火 　口）を覗く。直径約七百メートルある巨大なすり鉢状の噴火口は、今はなかば埋 　まっていてさほど深くはないのだが、斜面の所々にはまだ残雪が白くへばりつき、 　この山の高さを物語っていた。 　　対面左手には、朝日に赤く映える剣が峰。その横に気象庁観測所の白いドー 　ムが見えた。いわゆる富士山レーダーのドームだ。昭和三九年に設置されて以 　来、三十余年にわたって気象観測に活躍してきたこのレーダーも、気象衛星の 　実用化によってその役目を終えている。 近々撤去されるのでは、という話を耳 　にしていた私は、「これぞ見納め」 とばかりにカメラに収めた。 　　　　　　　　　　　　　　前頁へ　　　　　　　　　　　　　　　次頁へ