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蹴って、蹴って、　 　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　 　　　　　 2 / 2

十分に助走速度が上がらない人はいつまでもペダルに足を載せてこげな 　　い。初日の練習で一応ペダルがこげるようになったのは、受講者の中で一 　　番若い２０代の主婦とカミさんの二人だけだったという。 その日の実習終了 　　後、入浴を済ませての夕食の席で話題になったのはカミさんの上達の早さ。 　　２０代の若い人が一番になったのは言はば当たり前の話。最年長組（最初 　　の自己紹介で年齢がバレていた）に属するカミさんがこれに続いたというこ 　　とが他の若い（？）女性たちには脅威だったのであろう。 口々にそのコツを 　　訊ねられたカミさんは、 　　「とにかく地面を蹴って、蹴って、ただ蹴るのみよ。 だけど、あとで一寸だけ 　　痛いけれどね」 　　　と答えたそうである。 　　　講習２日目の午前中。初日に出遅れた女性たちはひたすら地面を蹴って、 　　蹴って、蹴りまくったのである。その努力の甲斐があって、全員がペダルに 　　足を載せて自力で走行出来るようになった。そして、午後にはサイクルセン 　　ター内の周回コースをかなりしっかりした調子で走れるようになり、受講者 　　たちの意気は大いに揚がったという。ところが講習終了後、おばさんたちは 　　大騒ぎとなった。汗を流しに入浴した訳だが、一斉に大きな湯舟に飛び込ん 　　だメンバーの殆ど全員が「あっ、熱い！　痛い！」と悲鳴を上げたのである。 　　サドルが当たった部分が擦れていて、湯がしみたのだ。 元気かつ勇気ある 　　おばさんが一人、「痛い、痛い！　どうして？」と言いながら湯舟を飛び出し、 　　洗い場の鏡で確認して叫んだ。 　　「あっ、すれて血が滲んでいる！」　 　　　そこでカミさんが口を開いて、 　　「ほらね。 昨晩、私が 『あとで一寸だけ痛いけれどね』 と言った意味が分 　　かったでしょう」 　　　と言うと、一同は一瞬沈黙。しかし、一人が「フフッ・・。蹴って、蹴って、ネ」 　　と口にすると、たちまち風呂場中が大笑いになったそうである。 　　　目的通りに自転車に乗れるようになったカミさん。しかし、その後も自転車 　　を買って乗ろうとはしなかった。従って、私は未だにカミさんが自転車に乗る 　　姿をこの目で見たことはない。ただ、アルバムに残る講習会のスナップ写真 　　でうかがい知るだけである。 　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　（２００３年　６月） 　　　　　　　　　　　　前頁へ　　　　　　　　　　　　　　目次へ